くらげたろう便り

足したり引いたりの毎日

小汚いが居心地は良い。

いまから3年前、私の部屋から出たごみの量は、それはそれは凄い量だった。

当時、毎週末2時間かけて通って来てくれるホトケのような顔をした彼氏がいたのだが、彼を言いくるめて、デートと称して部屋中からかき集めたごみを彼の車に詰めて自治体のゴミ収集所に通っていた。彼が週末仕事で来れないときは、弟をそそのかして収集所へ。
毎度、車1台分のめいいっぱいの量なのだ。振り返って、かろうじて後ろの車が確認できるほどに、山盛り積まれたごみには、粗大なものも含まれ、私ひとりの力で太刀打ちできるものではない。積荷をおろすのに男手が必ず必要である。
収集所のおじさん達にも、独りでごみを運び入れている女だとも、できれば思われたくない。
しばらく収集所に通っていた時期は、断捨離という考え方を知り、関連本を片っ端から読み漁り、ちょうど本格的にハマり始めた頃だった。捨てるというたったひとつの行動が、これほどまでに奥の深いものだったとは。いろいろ割愛するが、義務教育で、捨て方について取り入れるべきである。結局、50冊以上もの本を読んで、捨てるというイメージが湧いた。私は。

そもそも、私は本当に整理整頓が苦手で、捨てることも掃除をすることも大の苦手だった。だから捨て方の勉強から始めた。捨てる、や断捨離、といったワードがタイトルにちらりとでも入っている本をひと通り読んだ。片付けというテーマで、手を変え品を変え、片付けの苦手な私を説得しようと活字が訴えかけてくる。

思えば、片付けなさい、捨てなさい、と散々口うるさく言われてきたが、どのように片付けるか、どのように捨てるかといった具体的な方法については誰にも教えてもらってない。学校でも習っていないと思う。
家庭科でやっても良さそうなものだが、そもそも学校の授業というのは実用性に欠けるものである。記憶通りやっぱり習っていないと思う。でもどうして大人達は、こっちが知っているていで、やれ、やれ、と命令するのか。片付け方なんて身に付けていて当たり前だという態度なのか。周りの大人達への不満と、自分以外のこどもはいつの間に習得したんだろうという疑問は、今はとりあえず置いておこう。

さて、幼い頃から、私が過ごした場所だけが、いつも散乱していた。カタツムリの這った跡のように、散乱を辿っていけば、私が高確率でうずくまっている。
私のテリトリーだけが散らかる。
何か捨てようと思っても、不思議なことに、見つめられたごみたちは、たちまち輝きを放ち、私は何一つ捨てることができない。
もちろん親にひどく怒られる。またかと呆れられる。
それでも捨てることができない。散乱した紙くずなんかの中心で、泣きながら全部必要なのだと訴える。やがて反抗をあきらめ、目に付くものを片っ端からつかんで全部引き出しの中やかばんの中に詰め込む。あっという間に、畳の上は何事もなかったかのように静けさを取り戻す。

学校の机の奥からは、毎年潰れて粉々になったセミの抜け殻が大量に出てくる。ボロッボロになって、土クズになったかりかりの茶色い抜け殻。確かに、数週間前、意気揚々と校庭を走り回って夢中になって集めたはずだが、自然に還る寸前のセミの抜け殻には何の感情も沸かない。誰にも見られないことを願うばかりである。
いくら乾燥しているものと言えど、脚や眼はしっかりと虫の形をしていて、千切れていて、量もある。
あぁまたやってしまったな、という自分に対する失望と、なんでこんなもの集めてたんだっけ、という狐につままれたような、目から醒めたきもち。
夏がくると、無性に集めたくなるのがセミの抜け殻で、集めて満足し、机の中に入れたことを忘れ、集めたことを忘れ、集めた理由を忘れる。粉々の抜け殻がふとした拍子に机から出てきて、失望し、後始末に労力を裂き、来年は集めるものかと心に誓うのだが、それさえも忘れて、またいそいそと集める。

私の机だけ異様に重かった。私の机だけ大容量だったようで、ドラえもんのポケットを彷彿とさせた。ばかばかしく重い机を、だれも運びたがらなかった。
当然、何がどこにあるかなんて把握しているはずもなく、いつも何かを探していたし、いまも常に何かを探している気がする。

収集所に通い詰めていたあの頃から3年がたち、ライフスタイルは大きく変わった。
現在、私の断捨離への情熱は落ち着きつつある。
ものにもひとにも相変わらず縛られている。
探し物をしている時間も、相変わらず多い。

結婚して持ち物はふたり分になった。
捨てる行為もひと通り気が済んだが、やはり凡人らしく物欲にまみれたままなので、ものもまた増えそうだ。
ホトケの顔をした夫も、中身は普通の凡人、しかも散らかっていても平気な私寄りの人間なので、生活環境の劇的な変化はそうそう期待できないだろう。
解脱への道のりは長い。